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RNO--787
 12月  聴講生講座
演題【徳田秋声の小説<縮図>と千葉の蓮池物語】
  講師                劇作・演出家  大川 義之 先生
講演要旨
1蓮池 序章(蓮池の原風景)
 室町期の「千学集」に登場する千葉の昔の様子や町並みが一番古い文献である。そこに記述されている猪鼻城を中心とした千葉の守護神は「曾場鷹大明神、堀内午頭天王、結城の明神、御達報稲荷大明神、千葉寺の龍蔵権現」となっている。「千学集」に記述される千葉の町の規模は「表八千軒、裏八千軒,小路表裏表裏五百八十余小路也」とある。千葉妙見を基点に本町側が「表」で旧吾妻町側が「裏」をさしているのではないか。
2呼称 蓮[池]とは
 「蓮池」という名の池があったのか。千葉市郷土博物館の丸井副館長は「葭川より、富士見、新田方面は全て砂洲であったのではないか。池の所在は地図にものっていないし、裁判所から旧吾妻町にかけては、おそらく湿地帯であった訳で、特別な池があったとは思わない」と推察している。だが、千葉及び千葉氏を語る時、「蓮」は重要なキーワードになっている。蓮の葉を「せんよう(千葉)」としたのが市内最古の寺・海上山千葉寺であり、県庁前にあった羽衣伝承の池もまた「蓮の花と天女」という形で今日まで伝えられていることから、ここに字名として「あづま」名が残る以上、「蓮」の池、もしくは「蓮伝承」が残っていた可能性も捨てがたい。千葉日報文化部にいた遠藤寛夫氏は、蓮池について「不動堂の裏に一ヶ所と、少し北側に蓮の池があったのが、後年、この界隈を蓮池と呼ぶもとになった」と記述している。『千葉市街案内(大正14年)』にも「吾妻町の裏町一帯は明治の初年頃は蓮池であったのが、今では赤い灯のまたたきにまぎるる 三味の忍び音なまめかしい巷と変わり,泥中の蓮の花は物の言う解語の花(美人のこと)と化し、御神燈をつるす家が四十余、これに稼ぐ大小芸妓が百五十余名とは盛んなものでござる」とあり、蓮池という池があったことを伝えているのでその可能性は高い。
3不動信仰と花街の発展     略
4明治中期からの花町・蓮池
明治25年春、千葉町に大きい火災が不動堂付近からの出火で発生。火は正面横丁から吾妻町3丁目、市場町の一部まで焼けた。しかしこの火災をきっかけに新たな都市づくりが行われ、千葉町が大きく変貌してゆく契機にもなっている。明治中期の梅松屋の様子が描かれたものを見ると、人力車で乗りつける紳士や、芸者と向かい合わせに馬車に乗る紳士がいたりする。この頃になると芸者屋の数も増えて、明治26年には見番が設置されている。明治28年の蓮池芸者は51人。その出身地は東京が42名と最も多い。
 徳田秋声の小説『縮図』は蓮池が舞台になっているが、ヒロインの銀子(ぼたん)は大正6,7年頃に蓮池にいた芸者をモデルにしているが、やはり東京からやってくる。といってももともと芸者ではなく靴工場の女工見習いをしていた彼女が、体が楽だという触れ込みのある、千葉の蓮池へやってくる話だ。そこで千葉大学医学部の栗栖という学生と恋仲になる。   以下略