Go Zitudai.HP
RNO--6075
 2017年 4月 聴講生講座
演題 【 千葉の海岸に飛行場があった 】
  講師 航空史研究家 元習志野市立袖が浦西小学校長
                長谷川 隆 先生

講演要旨
 
伊藤音次郎の人生は、飛行機一色に多くの栄光と挫折の中で、生涯に渡り飛行機を愛し、飛行機と共にあった。民間航空の発展を願い続けていた伊藤音次郎の人生を辿り、後世に後世に伝えたいという願いを込めて!。

 日本で輸入飛行機が初飛行(明治43年)したころから、自ら飛行機を製作し、大空を自由に羽ばたこう若き人々がいました。日本の民間航空を開拓したその1人こそが、千葉市稲毛海岸、津田沼町、鷺沼海岸の干潟飛行場を中心に活躍した「伊藤音次郎」なのです。音次郎は、飛行機を設計し、製造し、冒険飛行を敢行し、優秀な飛行士を育成し、飛行機等製造販売会社を経営するなど、八面六臂の活躍をした大正・昭和初期の伝説の飛行家です。本日は、伊藤音次郎のご家族よりお借りした明治末〜昭和初期の貴重な写真や遺品をもとに、波乱万丈の飛行機人生を辿ってみます。100年前に、この千葉の上空を手作りの複葉機で飛んだであろう伊藤音次郎に思いを馳せてみませんか。

講演内容
 1 音次郎、飛行家になる決心をする
 2 独立、伊藤飛行機研究所を設立 帝都訪問飛行、夜間飛行に成功
 3 7ヶ月間の全国巡回飛行
 4 津田沼の鷺沼海岸に研究所を再建
 5 天才、山形豊太郎の活躍と墜死
 6 新しい事業への挑戦
 7 日本の軽飛行機倶楽部とグライダー制作
 8 引退、農場主として新たな道へ