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RNO--5561
 2016年11月 聴講生 講座
演題 【 田中正造に学ぶ 】
  渡良瀬川研究会副代表
田中正造に学ぶ会副代表
             講師  赤上 剛 先生

これまで26年間、田中正造と足尾銅山鉱毒事件研究に取り組む。
正造理想かすることなく、客観的な実像把握に努めてきた。

近代日本最初の公害事件が足尾銅山鉱毒事件。被害民と共に障害をかけて解決に努力したのが
田中正造。運動の中での孤立も体験。自ら“百戦百敗”といいながら、しかし「いや俺は負けていない」といった。
田中正造の「人権、自治、環境・自然との共生、非戦・軍備全廃」思想は、全て戦いの現場から紡ぎ出された。
3.11東電福島原発事故を経て、今、改めて田中正造思想が注目されている。

歴史から何を学ぶのか 
「知らんちゅうことは、罪ぞ」「私たちはもうチッソを許します」「学ぶことは、変わること」
Ⅰ.繰り返され、巨大化する公害事件

Ⅱ.足尾銅山鉱毒事件とは
  ・古河市兵衛1877(明治10)年足尾銅山取得。(志賀直道と共同経営、後渋沢栄一も参加)→富鉱(大直利)発見、増産につぐ増産。東洋一の鉱山へ。
  ・明治初期「富国強兵」「殖産興業」の柱の1つが銅→輸出し外貨獲得→軍艦等輸入。
  ・足尾は渡良瀬川の水源地。鉱毒流出。近代日本初の公害事件。政治的社会的大問題に。  ・鉱毒 銅1トン製造に硫酸・砒素4トン排出。(猛毒4倍の量)
  ・被害5県30万人、被害田畑10万ヘクタール。動・植物も死滅。胃腸病・眼病、死産・早死。← 正造「これは鉱毒殺人事件だ」「非命の死者だ」

Ⅲ.110年前の事件拡大再現した東電原発事故

  足尾銅山鉱毒事件・谷中村事件と3.11事故の共通性
  ①東京から離れた地域で発生。
  ②国策企業の事故。加害企業擁護、被害者救済ご手に。
  ③誰一人責任をとらない。加害企業も国も。
  ④国は被害地域全体の健康・病理調査をしない。
  ⑤政・官・学・業の癒着・一体化→今やマスコミ・労組・司法まで。
  ⑥生命より、利益・経済優先。

真の文明ハ山を荒らさず、川を荒らさず
村を破らず、人を殺さざるべし。
古来の文明を野蛮二回らす。今文明ハ虚偽虚飾なり、
私欲なり、露骨的強盗なり。           1912.6.17日記 田中正造全集

Ⅳ.今、田中正造に学ぶこと
 *1841(天保12)年、江戸時代末期に生まれた正造が今どうしてみなおされるのか。
 ①名主17才→明治維新27才→自由民権運動→県会議員→衆議院議員→足尾銅山鉱毒被害に直面、国会闘争。限界→辞職・天皇に直訴→逆の結果・谷中村廃村・遊水池化方針→谷中村に移住し廃村反対運動→廃村。残留民家屋強制破壊後も住民と一緒に仮小屋で闘う→行脚途中死去。
 ②闘いは、“百戦百敗”の如し。
 ③普通の人間。“俺が俺が”の自意識過剰。名誉欲大。失敗も多々。
 ④人民を抑圧する事件に、真正面から立ち向かう。逃げない。5度の投獄(通算4年)。
 ⑤谷中学:底辺人民にこそ学ぶことがある、ということに気付くまでの成長過程。

   文明 人権 憲法 学問 人道の闘い 自然との共生・環境  非戦・軍備全廃
   後世の人にも伝えたいこと 
   無所有の思想と実践  正造の遺品 全財産は
     帝国憲法とマタイ伝の合本、新約全書、日記帳3冊、河川調査草稿、小石3個、
     鼻紙数枚、川海苔