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RNO--5535
 2016年11月 本科生 講座
演題 【 菱川師宣と浮世絵誕生 】
                    安房郡鋸南町教育委員会学芸員 講師 笹生浩樹先生
講演要旨 
    鋸南町出身の浮世絵の祖・菱川師宣の生い立ちと、彼が目指した新しい庶民絵画
    「浮世絵」の誕生を紹介
1.浮世絵とは?
 ○「浮世」は江戸初期の流行語
  「憂き世」→「浮世」・・・意味 ・現世、今の世の中
                  ・今風の、流行りの(浮世笠、浮世巾着、浮世頭巾)
                  ・好色(浮世狂い=吉原通い)
 ・二大悪所の流行  ○吉原遊郭  葺屋町から浅草郊外に移転(新吉原)
           ○歌舞伎芝居 女歌舞伎→若衆歌舞伎→野郎歌舞伎と変遷
                  江戸四座(中村座・市村座・森田座・山村座)
 ・出版産業の発達 「仮名草子」「遊女評判記」「野郎評判記」「地誌名所案内記」など
     明暦の大火(明暦3年・1657)を境に復興をとげる江戸市中において、力を蓄えてきた庶民により、江戸独自の文化が芽生え始める。流行や快楽を求める庶民の心を満たしてくれる新しい情報発信媒体を誰もが望むようになる。
                   ↓
             ~浮世を描く新たな絵画文化~
               「浮世絵」の誕生
2.菱川師宣の登場
   菱川師宣 (生年不詳)~元禄7年(1694)6月4日没
  安房国保田に生まれる。縫箔師である父菱川吉左衛門と母オタマとの間の7人兄弟の第4子、長男。俗称は吉兵衛。号は友竹。幼い頃より画技に熱中し、後に江戸に出て、浮世と呼ばれた江戸のちまたの風俗を描く。寛文12年(1672)版本『武家百人一首』に「絵師菱川吉兵衛」と初めて署名し、以後、版本の版下絵師として庶民の需要に答えるさまざまなジャンルの絵本を手がけ、人気を不動のものとし、浮世絵師と呼ばれた。一枚摺り版画で絵画を普及させた功績は大きい。また掛軸、絵巻物、屏風など華麗な肉筆画も手がけ、特に美人画は世に「菱川よう」とうたわれるほどに定着した。多くの弟子たちを育成し、工房制作による肉筆画を量産。吉原、歌舞伎から江戸庶民の風俗まで細かに描き伝えた。「見返り 美人図」は晩年の作品。

  時代は元禄という江戸のバブル期に向かう中、一人の絵師が絵画革命を起こす。      ○菱川師宣の経歴 (師宣の経歴が紹介された版本の序文から)
 『大和武者絵』 延宝8年(1680)刊
  「ここに房州の海辺菱川氏という絵師、船のたよりをもとめて、むさしの御城下にちきょして、自然と絵をすきて、青柿のへたより心をよせ、和国絵の風俗、三家の手跡を筆の海にうつして、これにもとづいて自ら工夫して、後この道一流をじゅくして浮世絵師の名をとれり」
 『大和侍農絵づくし』延宝8年(1680)刊
  「此の菱川氏の絵師もとは房州にありて家業ありしかとはいえど、若年よりこの道をすけり、作意のはたらく事余の人にはすぐれたり」
 『月次の遊』延宝8年(1680)刊
  「ここに江 城のほとりに菱川氏の誰といひし絵師,二葉のむかしより此道に心を寄、頃日うき世絵といひしを自然と工夫して今一流の絵師となりて」
 
 ○師宣のメディア革命
  ①文章主体の本→挿絵主体の絵本へ目で楽しめる絵本の誕生
  ②実用性と娯楽性
    ・綿密な現地スケッチ・・・吉原遊郭・歌舞伎芝居小屋
    ・流行をいち早く情報提供
     庶民が何を好み欲しているのかを敏感に感じ、わかりやすく絵にする
    (現代で言えばプレイガイド・ファツション誌・タウン誌・漫画雑誌、写真週刊誌)  ③絵画の大衆化
   ・一枚摺り木版画・・・高価な肉筆画に代わり、安価で量産できる木版画の絵画の制作
   ・弟子たちと共に工房で肉筆画(美人画、絵巻物)の量産・・・師宣ブランドの確立 
 ○絵画に対する師宣の考え方
  武家、貴族など一部の特権階級のものでしかなかった高価な絵画に替わり、庶民は親しめる庶民のための新しい絵画をつくり出したい。                     

新しい絵画文化が師宣によって江戸に花開く
以後、浮世絵は江戸時代を通じて庶民絵画芸術として隆盛する            

3.師宣と故郷保田
  ○師宣に大きな影響を与えた故郷

4.見返り美人の秘密?
  「見返り美人図」は菱川師宣が描いた肉筆画で、版画ではありません。師宣が絵筆で色あざやかに美人を描きました。この絵には、当時の最新人気のファッションが描かれています。ふりむいた姿で描いたわけは、そのファッションを見せるためだったようです。
    髪型・・・当時大流行した「玉結び」という髪型。先を丸く輪にしています。
    帯・・・・当時、人気の役者上村吉弥がしめて流行した「吉弥結び(きちや結び)という帯のしめ方
    房陽(ぼうよう)とは、房州。師宣の故郷の安房国のことです。師宣はふるさとをとても愛して、ほこりとしていました。その証拠です。友竹(ゆうちく)は、師宣が亡くなる1年前くらいから名乗った号です。