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RNO--4767
 2015年 4月 聴講生講座
演題 【 邪馬台国研究はどこまで進んだか 】
  講師 明治大学名誉教授 大塚 初重 先生

講演要旨
 新井白石・本居宣長をはじめ多くの古代史研究者たちが、中国の歴史書『魏志東夷伝倭人条』の解釈から邪馬台国について研究の成果を競ってきた。約300年間に及ぶ論争の中心的な課題は、倭人・倭国の生活内容や国情に及ぶものというよりは、専ら邪馬台国位置論であり、九州・畿内の両説をはじめ、遠く海外の地域までを含め、現今においても甲論乙駁とどまることをしらずである。
 西暦2,3世紀の東アジアで中国・朝鮮と交流のあった倭国、とりわけ邪馬台国の名が古事記や日本書紀に登場してこない点は不思議である。2,3世紀の日本についての考古学研究の進展ぶりは近年特に著しい。
 邪馬台国の位置論のみでなく最新の考古学研究の成果は、いま何を物語るのであろうか。邪馬台国論をとらえなおしてみたい。

講演内容
1 考古学研究から見た邪馬台国の年代論
  かって邪馬台国の時代は考古学の弥生時代後期と考えていたが、現在では古墳時代の出現期から前期初頭の頃と、
  考えるようになってきている。2世紀末から、3世紀前半か。
2 鏡と鉄の問題
  「卑弥呼の鏡」とされてきた三角縁神獣鏡は3世紀後半から4世紀代の古墳副葬鏡
3 日本列島内における土器の移動
  2〜3世紀の列島内の土器移動が激しく、人々の移動から東国も邪馬台国時代の影響下にあったか。
  山陰、北陸地方などの日本海沿岸地域も邪馬台国時代には歴史的な関係が深かったと推定される。
4 箸墓は卑弥呼の墓か
  箸墓は古墳の形や、出土時の形から3世紀後半ごろか。