Go Zitudai.HP
RNO--3044
 1012年 1月 聴講生講座
演題    【 明治期 《万国史》 に見る東ヨーロッパ 】
   
講師   元千葉大学教授・現法政大学教授   南原 信吾 先生

講演要旨
  明治期には「万国史」という題で世界史の教科書が多く出された。その「万国史」において、ヨーロッパの東部地域がどのように扱われていたかを検討する。
 実は、「東欧」という地域概念は、19世紀の終わりまでは、ヨーロッパにも存在しなかった。「万国史」もそれを忠実に反映していて、「東欧」という概念が「万国史」に登場するのは1890年代末になってからであった。では、それまでは、「東欧」はどのように扱われてきたのだろうか。それを検討していくと、「東欧」という概念はなくとも、ヨーロッパの東部地域の歴史については、我々が考えていた以上に正確に知らされていったことが分かる。ただし、そのヨーロッパの東部地域の中でも明治期の日本が関心を持った地域は限られていた、いや変化していたことが分かってくる。それは何故なのだろうか。そのような点を考える。

1.東ヨーロッパの「出現」 明治4年
(1)寺内章明訳編『五州紀事』 老人が語る形式 ハンガリー、オーストリヤ、ポーランド、ギリシャ、トルコなど
(2)箕作麟祥編『万国新史』 1789年のフランス革命から1870年の普仏戦争までの時期の現代世界史

2.東ヨーロッパの「認知」明治14年まで(1870年代)
(1)文部省『史略』明治5年 明治期最初の歴史教科書
(2)西村茂樹編『校正万国史略』明治8年

3.東ヨーロッパの「消滅」 分明史の支配(1880年代)
(1)スウィントン 西山義行訳『万国史直訳』明治16年
(2)フリーマン 開藤成緒訳『弗氏万国史要』明治18年、21年

4.東ヨーロッパの「再登場」 分明史への批判(1890年代) 略

5.まとめ
(1)東ヨーロッパの位置の変化
?1870年代:「何でも見てやろう」「世界への知識欲」+新国家の存亡問題
?1880年代:「文明開化」のために西ヨーロッパ重視、世界史の動因
?1890年代:アジアの視点
モンゴロイド⇒ロシア⇒ポーランドとバルカン  「東方問題」
(2)その後の東ヨーロッパ
?「東ヨーロッパ」という概念が出てくるのは、木村鷹太郎「万国史」明治30年から。信夫淳平「東欧の夢」1919年では確立。
?ヨーロッパにおいても「東ヨーロッパが「西ヨーロッパ」と区別して考えられるようになるのは、19世紀の末から。それまでは、政治関係で論じるから、東西の区別はない。
?第一次世界戦争後は、土地制度の違いによって東西ヨーロッパを区分。
?第二次世界戦争後は社会主義のヨーロッパと資本主義のヨーロッパとして区分。
?1980年を過ぎた今、東ヨーロッパをどのような問題意識で見ていくべきか。
・「問題」が起こらないと関心を呼ばないヨーロッパ、しかし日本は歴史的に種々の教訓を学んできている。