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RNO--1476
 2010年11月 本科生講座
演題 【ヤマサ醤油七代目 濱口梧陵と稲むらの火】
  講師                     ヤマサ醤油株式会社 社長    濱口 道雄先生
講演要旨
  「稲むらの火」の逸話は戦前の国定教科書の国語読本に掲載されたが、小泉八雲の「生ける神」が原作です。
  異国人の八雲が通信の発達していない明治の中頃どうして和歌山県の小さな村の出来事を知るに至ったかは謎です。
  近年、小5の国語教科書にも取り上げられるなどいま再び注目を浴びています。
  初代駅逓頭を務めるなど家業の醤油屋経営だけでなく、幕末から明治にかけて幅広く活躍した高祖父について話す。
1.濱田家の由来
  紀の国(和歌山県)有田郡広村現在の広川町で寺を開いていた祖先が銚子にやって来て醤油の醸造をはじめた。
 紀の国は木の国ともいわれ、森林資源が豊富で木材を日本各地に船で運搬した。紀州人は日本各地に移り住んだ。
 さらに、江戸時代、いわし漁場の開発、鯨漁の技法の伝授、醤油の醸造などで紀州人の房総半島へ進出した。
3.醤油のルーツ
  鎌倉時代の禅僧が宋に渡り修業の後、帰国し、紀州の湯浅に寺を創建し、仏教を広める傍ら味噌の作り方を教えた。
  間違って水分の多い味噌ができてしまい、その余分な水気をなめてみると 今日のたまり醤油になっていた。
4.なぜ、千葉県に醤油製造業者が多いのか。
  江戸という大消費地に近く、利根川や江戸川の水運を利用した地の利と、霞ヶ浦周辺の大豆や小麦の生産地に近い。
5.「稲むらの火」の出典
  小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の「生ける神」(英文) 八雲は明治29年6月21日付大阪毎日新聞記事、
  同年6月15日に起きた、明治三陸津波地震の大災害の報道を知り、創作を加えて発表したものと思われる。
  その後、1933年(昭和8年)文部省が国定読本改訂にあたり、尋常小学校国語読本の教材を募集した。
  和歌山県日高郡南部高等小学校訓導、「稲むらの日」を投稿し入選。1937年国語読本第十巻に掲載される。
6.濱口梧陵年譜                      省略
7.「稲ぬら日」の実際はどうだったのか。梧陵の伝記,私記から
  安政元年1854年11月4〜5日、35歳の梧陵がたまたま実家のある広村に帰っていたとき、二日続けて地震発生。
  はじめの地震では被害が少なかったが、二回目激震に襲われる。揺れが収まった後、沖を見ると海は異常が無かったが、
  西空が真っ暗。村人を非難させようとしていると、津波の一波に襲われ自分も海水につかる。
  そこで松明をもってしたの村に戻り知らせようとしたが、流木が邪魔をして前に進めなかった。仕方なく
  道端の稲わらに火をつけ非難のための誘導路を確保して、村民を助けた。
8.その後の梧陵の働き             省略